2013年4月4日木曜日

月島・佃島

年度が明けて4月1日となりました。前の2日間に比べお天気に恵まれたこの日は、中央区の月島・佃島に行くことにしました。

私は東京のなかで月島が特別好きというわけではないのですが、月島の路地はちゃんと観察しておかなければという思いがずっとあり、それを決行したのです。ということで、以降は主に路地の写真です。おそらく路地の9割くらいは撮影しましたが、その中で比較的雰囲気の良かったものをザッと紹介します。

※今回は路地の中はあまり歩いてません。歩行距離が倍増してしまうので・・・。もんじゃは元々好きではないので食べてません(笑)。

月島は清澄通りが中心を貫いていて、北側(西側)に西仲通り、西河岸通りの2つの表通りが並行し、それぞれの間にやや狭い裏通りがあります。その裏通りと表通りを結ぶ路地の風景です。


▲まずは商店街のある側の路地を見て周りました。古い埋立地である月島は(マンションを除き)ベッドタウンではなく、ここで働き暮らす人が多い土地です。また、もんじゃ目当ての観光客もそこそこ来るので、昼間でも人がけっこういます。そのため、常に人がうろうろしていて、あまり落ち着いて写真を撮れる感じではありません。



▲月島および佃、また築地の路地に多いのは、真ん中に溝ブロックがあるタイプです。両側には植木鉢・プランターが並び、庭はないけれどちょっとした庭木があったりします。路地側でしか空間に面していないので、多くの家に簡易な作りの物干しスペースがあるのも大きな特徴です。簡易な電柱も通っています。



▲裏通りにある柏山稲荷神社と厳島千人力弁天大神です。民家にぴったりくっついていて、奥から話し声が聴こえます・・・。



▲ここは溝こそないですが、典型的な月島の路地といった雰囲気です。ごちゃごちゃしてはいますが、ごみごみしてはいないのがいいですね。



▲この路地がもっとも商業色がありました。私以外にも、覗きこんで写真を撮る人が何人かいました。これでもっと商店街的になると面白いですが法律上厳しいですかね・・・。



▲このコンクリート舗装の路地もなかなかに生活感があります。



▲少し路地から離れます。これは川沿いの区営住宅の敷地角にあった境界杭です。「物揚場」とは水深の浅い岸壁のことだそうですが、杭に書かれているのは初めて見ました。航空写真では昔の岸壁のようなものが住宅の奥に残っているようで、いずれ対岸の晴海から確認してみたいところです。



▲マンション下がカラフルなテントの商店街のようになっているここも、なかなか特異なスポットだと思います。軒数が多いですね。元々の地主さんがそのまま商売をしているのでしょうか・・・。



▲路地に戻ります。清澄通りの南側、商業地から遠いほうに入りました。やはりこちらのほうが落ち着いた感じです。建て替えがやや進み、家の大きさもややゆったりして見えます。人も少ないので歩きやすいですね。



▲明治に街が開かれた月島には、いまも古い家屋が点在しています。出桁造りの家屋が左手に見られます。



▲だんだんと素朴な造りの家が多くなってきました。長屋的雰囲気がありますね。



▲ここがその極めつけでしょうか。いかにも簡素な長屋っぽい感じです(路地なので長屋でいいのですが)。元々はみんな長屋が並んでいたといいます。



▲隣の路地も同じような造りの家が並びますが、行き止まりになってしまっています。木造の物干しスペースの造りに特徴がありますね。


月島はこれくらいにして、佃地域に進みます。佃島は江戸時代からの漁師町ですが、まずは後年に埋め立てられた新佃島側から。


▲いきなりですが、旧新佃島東町一丁目で雰囲気満点の階段路地を発見しました。こんな段差があること自体、不思議です。この向こうでまた下るので、少し小高くなっているということになります。砲台でも作ったのでしょうか・・・。



▲低いとはいえ、擁壁は煉瓦です。かなり古い年代のものでしょうか・・・。階段はもうひとつ横の路地にもありました。



▲その先の行き止まり路地にもまた階段があります。が、これはほとんど埋めて坂道に近くしてありますね。ここは奥の堤防に近づくために高くなっているのでしょう。



▲隣のここは左側をスロープ状に埋めています。やはり行き止まりです。排水の溝もあり、面の構成が面白いですね。



▲カクンとなった路地です。新佃島はそろそろこのくらいにして、佃島に移動しましょう。せっかく桜の時期なので石川島公園を回りこんで行きたいと思います。



▲堤防沿いは個室市民菜園のようになっていました。しっかりとした台まで設えてありましたが、公式なものなのでしょうか。



▲佃3丁目公園裏の、本来は路地とつながるところには小さなコンクリート橋がありました。排水路を渡るもののようですが、見ての通り、金網の門で遮蔽されています。こんなところに水路があったこと自体も驚きです。



▲散りかけてはいますが、石川島公園の桜はまだまだ楽しめました。左手がマンション街です。散策する人はもちろん、花見をするグループもちらほらいました(思ったより少ない?)。



▲あまり注目されることのない河川敷のこの公園ですが、各方面にたいへん見通しが良く、散歩には打って付けです。もともとは石川島造船所があった土地を再開発したものです。



▲中央大橋の裏側です。カーブ具合と骨っぽい造りが面白いと思います。もちろん船も通ります。



▲やっとのことで佃島に到着しました。住吉神社の鳥居の前です。枝垂れ桜が見頃ですね。



▲佃島は佃川支川がいまも船だまりとして生き残っていて、漁師町としての面影を感じることができます。周辺は小さな公園になっていて、ほっと一息つけるスポットです。



▲佃川支川から石川島のマンション群を眺めたところです。新旧の住宅の対比に水辺が加わった面白い景観で、私としてはイチオシの撮影スポットです。なかなかまっすぐに撮れないのですが・・・。



▲佃島の路地は月島よりさらに狭いものが主体です。このあたり、漁師町らしいですね。



▲ここまで狭いと、漫画のように2階同士を渡ってしまうのも可能ですね。入口の段差も特徴です。植物はさすがに少なくなっています。



▲佃島には井戸もいくつかあります。生活の匂いが濃い集落の風景そのものですね。



このあと、佃大橋から聖路加タワー、あかつき公園、築地と歩いて銀座を目指しました。そのあたりは割愛します。ちなみに築地の路地も似たような特徴を持っていますが、路地そのものがやや少なくなっています。


さて、前日にシネパトスが閉館した三原橋地下街に到着です。


▲耐震性の問題での取り壊しとは言われていますが、実のところは長年、目的外の不法入居として問題になっていた建物でもあります。



▲たくさんの関係者のサイン色紙、そして寄せ書きが飾られていました。夕刻の数分間ですが、これを見に来る人も何人かいました。

私はあまり映画館を使わないので、特に感慨はないのですけどね。



▲今日の歩行の終点・銀座4丁目交差点では、結婚するカップルの撮影が行われていました。このあたりはオープンカーで新郎新婦が巡回したりといった光景も見られます。お幸せに・・・!。


ということで今回は路地を中心に見て回りました。月島は商店街側が注目されがちですが、明治以来の街のかたちをよく残している場所でもあるので、地図を確認しながらいろいろな街路を見るのも「東京らしさ」を感じ取る散歩として楽しいと思います。また、銀座方面とも意外と近く、漁師町から下町、繁華街へと変わる風景を水辺とともに楽しむのも良いものです。

私は再開発ビルはけしからん、とか、元の家々を残せ、ということは特に思っていません。何しろ私はよそ者であり、街づくりは当事者が決めることです。ただ自分が歩くその時その時に見える風景を最大限楽しめれば、それで良いのではないかと思っています。またそれこそが、変化の激しい日本の街を楽しく歩くコツではないでしょうか。



2 件のコメント:

  1. 荒川防火水槽研究会2013年4月5日 1:06

    しかすけ様はじめまして。荒川防火水槽研究会と申します。いつもツイッターやブログを拝見させていただいております。
    私は古い家の前によく置いてある防火水槽ばかりを見て回っているのですが、月島や佃にはまだたくさんの防火水槽が残っていて、私にとっては聖地のような場所です。
    そんな月島にも再開発の波が迫っていて、複雑な気分です。

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    1. コメントありがとうございます。
      防火水槽、たしかにありますね!
      私個人としては、もう少し風情のある、
      高層化ではない街の変わり方もあって良いと思うのですけどね。

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